▶︎ 自分の不運を嘆く
▶︎ こういうこともあるだろうと思う
R塾代表の宮本智です。
あなたは運がいいですか?
今日は運が良かったでしょうか?
どう答えるかは人それぞれですが、
個人的なレベルでは幸運と不運は同じくらいやってきます。
(我々は宗教団体ではないことを断っておきます。念のため。)
毎日生きていると、明らかに不運だと思える出来事が起きます。
必ずあるよねぇ
「鳥のフンが朝から落ちてきて肩にかかった」
「欲しいジュースが売っていなかった」
と言う軽微なものから、
「大切な財布を落としてしまった。」
など金銭的な被害が出るものもあります。
しかし同じ出来事が起こったとしても、
幸運だと思っている人は良い面に焦点を当て、不運なことを不運だと考えません。
でも不運は不運じゃないの。。?
例えば、
「鳥のフンが落ちてきたから、それがネタになって話したい人と話せた。」
→話せなかったとしても、気がついた人に認知はされたはずです。
その時笑顔であればより良いですね。
「別のジュースを買ってみたらハマった。」
→もしハマらなかったとしても少し保守的でなくなったとも言えます。
挑戦したということです。
考え方って大事だね
「フンを浴びてしまうなんて鳥も私をバカにしてる。」
→鳥にそんな思考はできません。
「別のジュースが美味しくなかった。」
→いつもの選択が正しいこともわかったから明日以降は幸せが増すとも考えられます。
本当に「人間万事塞翁が馬」なのです。
因果関係による結果論で考えてしまいがちですが、
変数X(エックス)が常にあるので、五秒後に何が起こるのかすら確実にはわからないのです。
この思いもよらないことが起こるかも知れない意識がないことが危ないのです。
まずは、今無事ならいいじゃないですか。
明日も生きて行けるんですから。
それもラッキーなことです。
どうせなら幸運だと考えてしまえばいいのです。
そうすれば気持ちが前向きになり、笑顔も増えて、人が離れることはありません。
大切な財布を落として見つからない場合でも、一通り探して届け出もした後は、
攻めと守りの両方の機会として考えてしまうことです。
今後、より良いものを最悪のタイミングで落とさないようにできるという守りと、
あれだけのものを落としたのだから、より良いことが起こり続けるという攻めです。
何しても上手くいくと思えるね
また「あれは一体何のラッキーなんだったんだろうか?」と考え続けることもまた楽しみにもなります。
大体、そんな大切なものを落としてニコニコできるのなら、それだけで大物です。
なりたい自分に近づけたんじゃないでしょうか?
一見悪い出来事は必ずプラスに考え直せます。
プラスが溜まっていると考える方が楽です。
たとえどんなことが起こっても、前向きに生きていて欲しいです。
一度プラスに考えたら、あとは引きずらず雑念として処理して勉強に集中しましょう。
▶︎ これは良いことだと幸運として受け取る
48時間以内に実行
これまでの出来事を肯定的に解釈する